秩父神社
秩父神社は、平安初期の記録によると、第十代崇神天皇の時代に知々夫彦の命(みこと)が創建し、御祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと・天岩戸開きの神話に登場する知恵の神)・知知夫彦命(秩父開拓者)・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ・造化三神のうちのひとり)・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう・昭和天皇の弟宮)の四柱をお祀りしています。西暦927年に編纂された「延喜式」(えんぎしき)にも、その神名帳に掲載された古来からの知知夫国の総鎮守(秩父の国一の宮)です。後にできた武蔵国は大宮に鎮座する氷川神社・氷川女体神社(武蔵国一の宮)と2国並立した時代がありました。また、平安時代に関東武士団のなかでも突出して力のあった平家である秩父氏が今の群馬県の花園妙見寺から妙見信仰をもたらし、その信仰と習合し秩父妙見宮と呼ばれた時期がありました。妙見信仰(北辰信仰)は、古代バビロニアにはじまり、インドと中国を経て、仏教と共に我が国に伝来したものが、平安時代になり日本国内で流行しました。北辰(北極星)・北斗(北斗七星)を神座とする信仰で、北を制する者は国を制するという教えから、秩父神社の本殿は真南に向いて建立され、本殿の真上に北極星がくる配置になり、本殿真裏には北の方向に頭を向けたフクロウがにらみをきかせています。秩父平氏の末裔は、江戸氏・河越氏・豊島氏・畠山氏等現在の関東の地名として残っています。秩父の土地と関東、ゆかりがあることがまだまだありそうです。その話はまたの機会に。。。
うん綺麗だね(=^ェ^=)(=^ェ^=)にゃ〜
神仏習合の歴史があり神社仏閣によっては分離しない方が良い信仰あるから御朱印帳を神社仏閣で分けなさいって言う人に抵抗あります。信仰には差はないだろって思います。
よぅ知ってますね!こんなことガイドブックに出てなかったような?
札所というのは全国にあるのですね(=^・^=)幻想的で癒されますよ
Mちゃんへ
少林寺の門をくぐると、たくさんのキャンドルが並べられていたの。その数、100は超えていたかな。本物の火が灯されていて淡い光がゆれてきれいだったな。
SNちゃんへ
あ、その意見、けいこも賛成です。以前、他のブログでも神仏習合について言葉を交わした記憶があります。覚えていますよ(*´▽`*)
Sさんへ
いえいえ、自分の言葉をお伝えする自信がなくて、ホームページを引用してしまいましたw 寺院、仏閣、それぞれに歴史があって調べながら訪ねるのも楽しいものですよ。
Hさんへ
秩父は34番所があります。全部回るには、秩父地方をずいぶん歩かなければいけないですね。時折、お遍路姿で回っている方がいるんですよ。
すごい!また1つ秩父の勉強になりましたよ
薄暗い夜も、提灯の灯りでライトアップされてきれいですね
この暗さなら、けいこちゃんの手を握ってもバレないね!
Kちゃんへ
そんなこと言われたらドキッとしちゃうじゃないっ(*ノωノ) 手、あせばんできちゃった。。。
歴史を感じものの新しい見せ方ですね
いい感じ
廃寺にならなくて良かったですね♪
中からカンフーの達人が出てくるかなぁ〜?(笑)
HRHRさんへ
あ、それそれ。歴史との融合っていうやつかな。ライトアップも。ただ照明をあてるだけではないところがいいですよね( ☆∀☆)
タ○さんへ
少林寺という名前なので、名前を聞いたときはてっきり中国に由来があるのかと思いましたよ。ところが、まったく違うのね(笑)